003 坂道、という名の石段(金沢の坂道・その1)

前回、金沢市は坂道が多いことで知られていると書いたのだけれど、実際、平たんな道を探すことの方が難しいくらい、大小長短、さまざまな坂道が市内のあちこちに配されている。
とりわけ犀川浅野川にはさまれた小立野台地、犀川大橋の南側に広がる寺町台地、ひがし茶屋街の背後に控える卯辰山――これら三つの丘陵地から派生する坂には印象的なものが多く、由緒や逸話も残っている。
ということで、かつて坂道コンシェルジュとも呼ばれた(自称)私が個人的に気に入っている坂道のいくつかを、1ダースほど紹介していきたいと思う。今回、紹介するのは「つばや坂」。

金沢は「坂道」が多いというけれど、そこには「石段」も含まれる。石段は坂道ではない、という坂道原理主義者とでもいうべき坂道愛好家も少なくないのだが、これにこだわると金沢の坂道は楽しめない。実にいい雰囲気の石段がたくさんあるからだ。それに、そもそも石段の多くは急な坂道の上り下りを助けるために設けられたものなので、これを排除しようとする意見はいただけない。

話が脇道にそれた。坂道に戻ろう。
「つばや坂」は別名「甚兵衛坂」ともいい、料亭『つば甚』の裏手から犀川河畔へ下る石段である。その由緒を記す石碑はなく、比較的、新しく市民に認知されるようになった坂の一つと思われる(といっても近在の人と坂道愛好家以外にはほとんど知られていないと思うが)。斜面に桜の老木が何株かあって、花見の季節に訪れるのもいいかもしれない。

この坂道は形状に特徴がある。金沢には「W坂」と呼ばれる有名な石段があるけれど、こちらはローマ字で表すならさしずめ「N坂」。初めて利用すると不思議な感覚(方向感覚がずれるというか)を覚える。 かなりさびれた坂道(隠れ坂、あるいは忘れ坂といった風情)で、うっすらと生えた苔が実にいい感じ。

金沢を訪れた際にはぜひ、探し出してみてください。

 

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002 坂道

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」というのは川端康成の名作『雪国』冒頭の一節だが、長い坂道を上りきると、そこはやっぱり坂道だった――ということが、金沢ではよくある。
金沢市は石川県の県庁所在地。「石川」にはピンとこなくても、「金沢」であれば「知ってる!」「行ってみたい」という人は多いだろう。
そんな金沢市は坂の多い町である。加えて前回で取り上げた「雨」も多く、人は必然的に移動を車に頼ることになるのだが、一方で旧い町並みや歴史的遺産がところどころに散在していて、そうした風情の一つひとつは徒歩でなくては目にとまらない。車だと論外、一瞬で通りすぎてしまう。
歩いて初めて知る魅力の、なんと多い町であることか。
そして、歩くには疲れる坂道にしても、たとえば、その名前と由来に目を向けてみると、気分も足取りも少しは軽くなるというものだ。
松山寺(東兼六町)の塀に沿って上っていく八坂(はっさか)は、かつて付近に八つあったという坂道のうち現存する唯一のもので、木こりの通り道だったそうである。50メートルほどつづく様は市内の主な坂道のなかでも急峻な部類に入り、上りきると尻垂(しりたれ)坂に合流する。こちらはその昔、大八車を押して坂を上った人足たちの後姿から名がついたなど由来には諸説ある。いまは兼六坂と呼ばれる方が一般的のようだけれど。
あるいは、野町広小路の交差点から犀川大橋まではゆるやかな下り坂になっているが、これは名を瓶割(かめわり)坂といい、かの源義経一行が奥州へ逃げる途上、坂の半ばで携行していた瓶を落として割ったことに由来する。割ったのは武蔵坊弁慶で、いまでは想像もつかないが、当時は弁慶もよろめくほどの厳しい坂道だったのだろう。
ほか、馬坂、牛坂、嫁坂ならば、その由来もなんとなく見当がつくだろう。では、線香坂、不老坂、蛤坂なら……。金沢には、興味深い名前の坂がまだまだ数多く存在する。

※次回、引き続き坂道について書いてみます。

 

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001 雨

平安時代、お公家さんの妻や娘、またその御付きの女官たちは雨の日が続くと外出ができず(雨具というものがまだなかったのだ)、そんなとき、暇に任せてやることといえば、ただぼんやりと窓から外を見ることくらいだったという。

そこで生まれた言葉が「眺め」。

「長雨→ながあめ→ながめ→眺め」というわけで、小野小町の有名な一首は、この「長雨」と「眺め」を巧みにかけたものだ。

 花の色は 移りにけりな いたづらに
 わが身世にふる ながめせしまに

「長雨が降っている間に美しい花は色褪せた。私の若さも同様、世間を眺めて物思いに耽っている間に衰えた」と、少々自虐的に詠んでみたところに小町の遊び心が感じられる。

いまではまったく聞かないが、かつて降り続く日数によって雨の呼び名は異なっていた。

1、2日ならそのまま「雨」で、これが3日以上になると「霖」、10日を過ぎれば「霪」となる。雨冠に「淫」と書いたからといって「外出ができず、淫らな行為に勤しんだから」と想像を膨らませるのは間違い(たぶん)で、「淫」の字には本来「度が過ぎて弊害が起こる」という意味がある。

さて、われらが石川県は「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるくらい、天候の変化が激しい。しかし、最近は家を出るときに降ってでもいない限り、特に若い人に顕著だが、傘をあまり持ち歩かないようになった。では雨にどう対処するかというと、コンビニでビニール傘を買うのである。

コンビニの店長は天気予報の確認を欠かさないという。そして、ひとたび雨を感知すれば、倉庫からビニール傘を出して入口付近に大量に並べる。オフィス街の店舗などでは、こうした地道な努力が大きな売上に繋がることも再々なのだそうだ。

◎写真は金沢の三茶屋街のひとつ、主計町茶屋街。雨上がりの夜の「眺め」を切り取った一枚です。(画像提供:金沢市

★雨の日に訪れたいスポット

鈴木大拙館」水鏡の庭・・・もともと一定の時間ごとに水面に波紋(水紋)が広がるようになっているが、雨粒がつくる波紋はまた格別。いくつもの波紋を「眺め」ながら雨の金沢を愉しむ時間も乙なものです。

 

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